桃の節句3つの話
第1話 3月3日=桃の節句
3月3日の「上巳(じょうし)」は「じょうみ」とも読み、1月7日の「人日(じんじつ)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」とともに「五節句」の一つです。上旬の巳(み)の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日であったが、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われています。
中国では、一桁の数のうち1,3,5,7,9の奇数を「陽数」と呼び縁起の良い数とし、2,4,6,8の偶数を「陰数」と呼び縁起の悪い数とする考え方があり、「陽数」の重なる日は陽気が強すぎて不吉なため、それを払う行事として執り行われていたものが、時を経て正反対の「吉祥」の日の祝い事と解釈されるようになったというのです。
桃の咲く頃=
旧暦の3月3日といえば、現在の3月上旬から4月中旬。ちょうど桃の花が咲く春らんまんの季節なので、上巳の節句は「桃の節句」とも呼ばれるようになり、桃の木は、中国では病魔や厄災をよせつけない不老長寿の仙木とされ、節分にも桃の木の弓で鬼を追い払う儀式があったほど。桃はとても縁起のいい植物といわれています。
第2話 十二単衣
NHK大河[光る君へ]の平安時代といえば誰でも思い浮かべるのが十二単。
正式には「五衣(いつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・裳(も)」といい、古くは「女房装束(にょうぼうしょうぞく)」「裳唐衣(もからぎぬ)」「裳唐衣姿」「晴れ装束」とも呼ばれていました。
よく、五衣の色重ねを10枚、表着が1枚、唐衣が1枚の合計12枚が十二単の決まりだと言う人もいますが、これは俗説で、五衣は平安初期には、華やかさを競う風潮から20枚から30枚も重ねて着たという記録があり、特に重ね着枚数に決まりはありませんでしたが、平安後期には五衣の色重ねを五領(五枚)に制限する「五領制」が定められたので、五衣の色重ねは五枚ということになりました。
「十二単」という俗称は、「たくさんの着物を重ねている様子」と「重ねた着物の鮮やかさと豊かさ」を表現するために、ゴロの良い「12」という数字が使われるようになり、それが一般的になったものと言われています。
奈良時代の後期に着物の原型が生まれ、平安時代により現代に近い着物が生まれました。
十二単は平安時代の中期に完成した女房装束の儀服で、成人女性の正装です。
宮中などの公の場所で晴れの装いとして着用され宮中の儀式など、公家女房の晴れの装いとして用いられ、 現在では御即位の大礼の儀、皇族妃の御成婚の儀に用いられました。
第3話 右・左の謎
ひな人形には京都で作られる「京雛」と、関東で作られる「関東雛」があります。
京雛(きょうびな)
- 左側(向かって右)に男雛、右側に女雛が座っている
- 目が細めのおっとりした目鼻立ち
※京雛 マイ大阪ガス 京都 桂甫作 安藤人形店より
関東雛(かんとうびな)
- 右側(向かって左)に男雛、左側に女雛が座っている
- はっきりめの目鼻立ち
※関東雛 マイ大阪ガス 京都 桂甫作 安藤人形店より
京雛(写真左)と関東雛(写真右)で顔の形や目の大きさが違います。
京雛
かつて宮廷では、左側が位が高いとされたので(左大臣の方が右大臣より位が高いなど)、京雛では「みかど」が左、「お妃さま」が右の座り方になっています。
この並びについては、「陰陽説(いんようせつ)」の考え方が影響しています。
陰陽説では世の中のあらゆる物質・現象を、陰・陽の二気で構成されるものと考え、どちらの気が強く現れるかにより、万物を陰と陽に分類します。例えば太陽は陽、月は陰、天は陽、地は陰といった具合です。
モノを並べる場合にも、陰陽それぞれの属性を対応させる為。左右で言えば、左には「陽」、右には「陰」に属するものを並べることが自然だと陰陽説では考えており、男女を並べる場合、男は「陽」、女は「陰」に属しますので、それぞれ陰陽を対応させて、左に男、右に女が来るということになります。
ただし、これは自分から見たときの左右ですので、他者から見た場合には、左右が逆になります。これを補足しながらまとめると、
【陽】左(向かって右)・男 【陰】右(向かって左)・女
ということになります。
ちなみに、舞台の上下というのも、同じ論理によるものです。上は陽、下は陰に属しますので、上手(かみて)は左(向かって右)、下手(しもて)は右(向かって左)となります。
【補足】 陰陽説について
陰陽説や、陰陽二元論というのは、古代中国の思想です。
世の中を構成するすべての物は、陰と陽の2つの気により構成されるという考え方です。例えば、
- 太陽と月
太陽は陽。月は陰。(月のことを太陰ともいいます)
- 季節
春・夏は陽。秋・冬は陰。
- 東西南北
東と南は陽、西と北は陰。
- 上下
上は陽。下は陰。(身分や地位でなく、単純に方向の上下です)
- 左右
左は陽、右は陰。
- 男女
男は陽。女は陰。
といったものです。
関東雛
一般的な雛人形の位置は男雛が右(向かって左)、女雛が左(向かって右)と飾られており、結婚式などの新郎新婦もこのように並んでいます。それは西洋の右を上位とするルールが取り入れられたからだと言われています。このルールは、明治時代の終わりごろから取り入れられました。
雛人形が今日の一般的な関東雛の並べ方になったのは、1927年(昭和2年)の日本とアメリカとの「青い目の人形」の交流の際に、外国の方に雛人形の並べ方はどちらが正しいのかということを聞かれ、今まできちんとした並べ方を決めていなかったため、国際礼儀の右を上位とすることを採用しました。
そのことにより、一般的な「関東雛」は「男雛が右(向かって左)、女雛が左(向かって右)」ということが主流となりましたが、京都などでは、現在も昔のスタイルで雛人形を飾っているため、「京雛」は男雛が左(向かって右)、女雛が右(向かって左)とされています。
皆さんがお持ちになっている、雛人形は[京雛][関東雛]なのかを知る事で、自分のルーツや家族の歴史を考えるいい機会となるかも…