この子の七つの お祝いに
ちっと通して 下しゃんせ
千歳飴をもった小さな子供たちが走り回っている光景を見かけるこの頃です。
画像引用:歌川豊国 七五三祝ひの図 より
今回は11月15日の5つのお話
- 第一話 七五三の起源
- 第二話 7歳.5歳.3歳で神社にお参り行く…なぜ!なぜ!なぜ!
- 第三話 なぜ11月15日?
- 第四話 七五三の必須アイテム
- 第五話 怖い話…故に、「帰りは怖い」
第一話 七五三の起源
諸説あるので、私のお気に入りの話を、ちょっと。
七五三の起源は平安時代にさかのぼり。小さな子供の髪は剃っていました。
なぜ剃っていたのかというと、
「赤ちゃん時代のフワフワな細い髪を剃ると、そこから強い綺麗な髪になっていく」という説。
実際は、病気の予防と清潔さを保つという意味が強かったようです。
「髪置きの儀(かみおきのぎ)」
3歳になった時に、白髪を模した糸を頭にのせたり、白粉を頭にかけて、髪が白くなるまで長生きし欲しいと願いを込めて、今まで剃っていた髪を伸ばし始める儀式がありました。
「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」
5歳の男子が、初めて袴を身に着けるという儀式がありました。
袴を身につけ大人への仲間入りを示し、天下を取るという意味合いで、基盤の上で、吉方に向いて袴を左足から踏み込ませて着させ、冠をかぶって四方の神に拝み、四方の敵に勝って天下を取る願いを込めました。
「帯解の儀(おびときのぎ)」
7歳の女児が、子供用きものの付紐をとって初めて大人と同じように帯をむすんで着物を着るようになったことを祝う儀式。
元々は3・5・7歳のいずれも男女共に行ったのですが、
江戸時代には、
「髪置きの儀(かみおきのぎ)」が男女共に3歳で、
「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」は5歳の男のみ、
「帯解の儀(おびときのぎ)」は7歳の女のみ
に定着していったのだそうです。
第二話 7歳.5歳.3歳でお参り行く…なぜ!なぜ!なぜ!
暦が中国から伝わった際に、奇数は陽数であると伝わった為ため、奇数の年で行う方が縁起が良いとされていたという…説
その時代は、7歳までは神に守ってもらっていると信じられていた現代と比較すると医療技術がまだまだ未発達であったため。虫歯や風邪などでも命を落としてしまう事が多かったようで、幼い子供たちが無事に大きくなることは難しい時代でした。
生まれたばかりの赤ちゃん〜3歳までは、十分な栄養が与えられない・衛生的ではないなどの理由で死亡率が高く、自分で行動するようになる3歳から、歯が抜け替わっていく7歳までは、成長に伴い、怪我や病気のリスクがとても大きいと考えられていました。
子供が無事に成長できたことは、神様が守ってくださった証だということで
「3歳まで大きくなりました、ありがとうございます。」
「5歳になって袴も履けるようになりました。もうしばらく病気から守ってください。」
「ようやく7歳になりました。今まで守ってくださりありがとうございました。」
というように、神様に報告と感謝の意をつたえる行事として、現在でも「七五三」というお宮参りの風習が続いている…という説
第三話 なぜ11月15日?
その由来は、1681年(天和元年)旧暦11月15日に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる…説
旧暦11月はその年の実りを神に感謝する月であり、旧暦15日は二十八宿で「鬼が出歩かない日」「何事をするにも吉」とされる鬼宿日に当たったことから11月15日に行われるようになった…説
今日では11月15日にこだわらずに10月から11月の間に行われるようになりました。
第四話 七五三の必須アイテム
七五三といえば、千歳飴でしょ💛
画像引用:「安津末風俗 十一 宮詣|楊洲周延|国立国会図書館デジタルコレクション」
「千歳飴」:千年も寿命を保飴という意味で、今では「ちとせあめ」と呼んでいますが、当時は「せんねんあめ」「せんざいあめ」と呼ばれていました。
千歳飴の発祥について3説紹介します。
- 大阪の飴売り…説
元和元年(1615年)大坂の平野甚左衛門が、飴の販路を拡大するために江戸にでて、浅草寺の境内で飴を売り始めたのが始まり。
- 浅草の七兵衛…説
元禄・宝永年間(1704~1711年)に、江戸・浅草の七兵衛という飴売りが、紅白の飴を「千年飴」として売り出したのが始まり。
- 神田明神…説
神田明神の境内で売られていた「祝い飴」を起源とする説です。江戸時代に歌川広重が書いた浮世絵には、千歳飴を持って神田明神にお参りする丁稚の姿があります。
千歳飴の袋絵の縁起
鶴亀/松竹梅…めでたい縁起柄
ほうき…病や災難(厄)を掃き捨てる
熊手…幸せをかきよせる
持ち物トピックス
女の子
- 筥迫(箱せこ)
懐紙・鏡・紅・お香・お守りを入れた。今でいう化粧ポーチ。
- 扇子
おめでたい柄の絵が描かれた房飾りのついた小さめの扇子を帯締めにさす。
- 平簪(ひらかんざし)
髪にさすかんざしが小さくなったもの、筥迫(箱せこ)につけて使用する。
- しごき
帯の一種で帯の下に巻いて斜め後ろに結んで使用する飾り布。
男の子
- 懐剣
袋に入った小さな刀を袴にさす。
画像引用:フォトスタジオ・写真館はらかんスタジオ 七五三自前衣装の方持ち物チェックより
第五話 怖い話…故に、「帰りは怖い」
七五三に関わりが深いとされるわらべ歌に「通りゃんせ」があります。子供の七歳のお祝いに天神社に詣でる歌詞があるためです。
「通りゃんせ」は江戸時代後期ごろを起源にもち、ヨーロッパの「ロンドン橋落ちた」などと同じ「関所遊び」で歌われる素朴なわらべ歌で、江戸期には「天神様の細道」と呼ばれていました。全国各地でさまざまなかたちで歌われていたものを、大正期に本居長世が編曲し、歌詞の一部を改変してレコード化(レコード発売当時のクレジットは野口雨情になっています)したものが有名になり、わらべ歌の代表曲のひとつとなりました。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
お祝いなのに、結構暗いイメージのわらべ歌です
皆さん、諸説あります。
皆さんなりに、このわらべ歌の解釈をしてみてはいかがでしょ。
江戸時代の庶民の暮らしの事情が垣間見えるかも。
明日は11月15日 七五三です